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わらえる.4
 思い出.大切な思い出.僕の生きがい.
 それらはすべてが過去で,今のすべてでもあった.

 思い出,と言えば聞こえがいい.大切なもの,一生の宝もの.僕と,彼と,君たちとの,たくさんの思い出.誰のものでもない,君たちとしか共有することが出来ない,特別な時間.
 でも,それらは,もう手にすることが出来ないあの日々の記憶だ.今となっては,失ったものの残滓だ.
 どれだけ,愛でようと,大切にしようと,再び手にすることはできない.それらは確実に,日々追うごとに輪郭を失っていく.どんどんとあの頃の自分との距離が開いていく.それは当たり前だ.僕はもう,学生じゃない,髪は黒く,短く切りそろえてある.「ドコニデモイルアリキタリ」な社会人の顔をしている.
 写真に写る皆の姿は,若い.髪は明るく,肩は軽い.両手を挙げ,屈託のない笑顔をふりまく.
 社会人と,学生.
 いったい何が変わるのか,よく考える.社会人になり,春が終わり,現実を垣間見て,夏が過ぎ,夜の長い季節へと移り変わろうとしている今.その肌寒い夜は,僕の思考を加速させる.
社会人としての責任,立場,プライド,生きがい.
 ロックンローラーになるわけでも,旅人になるわけでもない.ただのサラリーマンだ.普通の分かりやすいレールの上に立っている僕にはその答えなんて思いつくわけもなく.ただただ,平凡な逃避への憧れと,一歩を踏み出せない机上の爆発を繰り返し,翌朝には聴き飽きた目覚ましの音で目を覚ます.
 
 僕の特技は,過去に縋ること.
 
 仕事場で名字に「さん」付けで呼ばれるたびに,僕はひとつずつ失っていく.日々を摩耗していく.なにかを,諦めていく.
 いつかの日々を想う.
 全員が,浮足立ってて,完璧ではないくせに,大きな声で笑うだけの日々.くだらなく,馬鹿みたいに,お互いを馬鹿にしあいながら,酒を酌み交わす.
漫画のような日常.青春の最高潮.

 僕の特技は,過去に縋ること.
 僕の生きる糧は,過去に縋ること.
 
 目覚ましで目を覚まし,ひとりで誰もいない空間におはようを落として,重い肩を動かして,着替えて会社へ向かう.
 名字にさん付けで呼ばれて,必要最低限の会話と当たり障りのない話題を交わす.
 日々,声は小さくなっていく.今日も僕は,過去に縋る.思い出し笑いで,心を保つ.
 日々,心は摩耗していく.その摩耗してすり減った隙間を埋めるのは,思い出補正によって肥大した,腐りかけの思い出.
 なんのために,働いているのだろうか. 
 仕事から帰り,誰もいない部屋で一人,考えることがある.
あの頃の自分は,自分の欲しいもの,やりたいことへの資金のためにアルバイトに勤しんでいた.強制されるわけではなく,自分から進んで働いていた.間違いなく.
 いまはどうだろうか.
 確実に,あの頃と比較して,賃金は多く,自由な金は増えた.何が違うのか.
 今までで一番目先の見えない日々,ほんとうに,わらえる.
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【2012/10/14 02:11】 | 短編小説「わらえる.」 | トラックバック(1) | コメント(2) | page top↑
わらえる.3
 今が未来だった頃のことを思う。

 成人もしていない,ひとりの力で町も出たことのない,幼く,馬鹿でまっすぐな小学生のころ.あの頃の俺たちは、自分たちが世界の中心だった.
 世界で1番面白いやつと、世界で1番足の速いやつがクラスの人気者で.世界で1番強いやつと、世界で1番可愛いやつのグループがクラスのリーダーだった.そんな風に,いろんな世界で1番の人間が集まってできたクラスで,自分たちが「せかいさいきょう」だなんて疑うことなく毎日を過ごしていた気がする。
 廊下に張り出されたテストの結果に群がり、体育のスポーツテストで上位をとればヒーローになれる。背が高ければ席順は後ろになり、体重が重ければブーというあだ名がついた。そんな風に、人の表面に出ている浅はかな個性が最も面白がられ、大切にされていたのだ。
 俺はそこそこ足が速く、皆よりも頭が良かった。だからクラスでの立ち位置は上の中.俺のする話に皆が納得し、尊敬の眼差しを向けてきた。
 宇宙は今も膨張している。
 星は一つ一つが太陽。
 ゴリラの学名はゴリラ・ゴリラ。
 クジラは哺乳類。
 ピカソには超長い本名がある。
 少しの不思議な話,皆の知らない知識.それらがあれば、俺は皆からの注目を浴びることが出来た。
 気になっていた隣の席の彼女に「すごいね!」と言われるだけで世界一の幸せを感じて、明日ももっと凄い話をしてやるぞ、と意気込む。でも、口から出る言葉は「こんなことも、知らねぇのかよ、バカ女」なんて素直じゃない言葉だった.正直になれよ,と今なら思うけど、年頃の男子には仕方のないことなのだろう。

 誰かが、将来は博士になるんだろう、と言った。
 
 俺もそれを疑うことなく、鵜呑みにして、世界をあっと驚かす発見をする博士になるぜ、なんて声を大にして言っていた気がする。
 世界で一番面白いあいつは、お笑い芸人に。
 世界で一番足の速いあいつは、マラソンランナー。
 世界で一番可愛いあの娘は、グラビアアイドル。
 体重の重いあいつは、相撲取り。
 世界で一番強いあいつは、格闘家で世界チャンピオン。

 俺たちの世界は、狭かった。
 どこにも敵はないと,疑うこともない。信じているのは自分たちだけ。
 あの頃の俺たちは迷うことなく、恥ずかしい将来を語り、ただまっすぐにそれを信じていた。
 俺だってそうだった.世界を変えるような人間になって、世界を驚かせる発明をして、お金持ちになって、気になる彼女と結婚するという未来予想図が俺の浅はかな頭にでかでかと描かれていたのだ。今となっては、それがどこに描かれていたのかわからない。分かろうともしていない。
 今が未来だったころ,遠い遠い,昔の話だ.

 階段を登る足音がする。
 今日の晩御飯は何だろうか。
 いつものように、扉を四回叩く音がする。夕飯の合図だ。かすかに、肉じゃがの香りが漂ってくる。いい香りだ。
 扉の下にお盆をおく音。
 そしてその後、控えめに扉を再び叩く音がした。
「ねぇ? あの、少しでいいから部屋から出――」
「黙れよ!」
 せっかくの夕飯のいい香りに,すこし心がはずんでいたというのに,気分が台無しになってしまった.おとなしく,夕飯を置いていけばいいものを.俺は,数少ない貴重な,母親との会話を,その罵声ひとつで終わらせる.
「ご、ごめんなさい」
 そんな俺の一声だけで、怯えたように謝罪をする.扉の向こうで遠慮がちに小さくなる母親を,想像出来た.でも,ただ出来ただけで,そのことへの感想はなにもない.そそくさと部屋の前から去って行く足音が聞こえて,遠くなっていく.
最初からそうしていればいいんだ。
ゆっくり二十秒を数えてから、素早く扉を開けて置かれている夕飯を回収する。香り通り、肉じゃがだった。添えられていた手紙は部屋の外に放っておく。何度も何度も同じような手紙を書きやがって.

 俺は忙しいんだ。
 
 すぐにパソコンの前に戻り、夕飯を頬張りながらマウスを動かす。
 俺の理想を映し出したキャラクターが、村を襲っていたモンスターを倒す。
 報酬としてお金を貰い、パーティでそれを山分けし、新しい武具を揃え、新しいミッションへと向かう。
『次はどんな人助けに行こうか?』
 パソコンの画面にパーティからのメッセージが映し出された。俺たちは最強のパーティだ.誰にも負けない.どこにだって行ける.カネも名誉もなんだって手に入る.簡単な世界だ.俺は慣れた手つきでそれにキーボードを叩き返事を書く.

 今が未来だった頃のことを思う.
 あの頃の俺は自分たちが世界の中心だと勘違いしている,期待とか希望とか、きらきら輝いたものに裏切られることを知らない、可哀想な人間だった。
 もしも、タイムマシンやら何かであの頃の自分に会うことが出来るなら、教えてあげたいくらいだ。
『今の俺たちには、救えないものなんてないっしょ』

 なあ、知っているか?
 俺には世界は変えられない。
【2012/07/02 23:00】 | 短編小説「わらえる.」 | トラックバック(1) | コメント(0) | page top↑
わらえる.2
 これは,私の話だ.私の話をしよう.
 私は愛と,恋を形にする仕事をしている.
 世界には奇跡や,偶然,そして運命が其処此処に散り散りに存在している.それらのひとつひとつに色をつけ,肉をつける.嘘を交えて,かき混ぜて,空気を入れて膨らませる.そしてそれを空に浮かべるときれいな形となってあたりにその存在を示す.そうして,恋愛小説が出来上がり,愛が世界を救い,恋で涙を流す人が生まれるのだ.
 このように,私は恋愛小説家と呼ばれる職業に就いている.
 恋愛とは奇跡と運命があってこそ,より輝くものだと私は思う.
 ハリウッド映画でもそうだし,泣けるラブストーリーにだって運命や奇跡は飽和するように詰まっている.私の今までの恋愛は普通でしかなかったのだ.だから,駄目だったのだとも今なら思えた.
 普通の少年が,病気でも幽霊でもない少女と,奇跡的な出会いではなくただの中学の同級生で出会い,忘却していた幼馴染でもなく,前世での宿命の敵でもない相手と,なにかを育むことなんて,出来たとしても,わくわく感や,ときめきや,盛り上がりに欠けるにきまっている.だめだ,だめだ.間違いなく駄目だ.
 世界にはこんなにも,奇跡や運命が転がっているというのに,そんな普通なものに目を奪われていては意味がない.
 時折,私は喫茶店へ行く.行きつけではなく,ふと思い立って入る.それは喫茶店でない時もあった.小さな雑貨店,シックな雰囲気のバー,そんな場所にひとりで入り,そして店の中で見つけた人に話を聞くのだ.
 それはもちろん恋愛の話だ.
 喫茶店でひとり,お守りを机の上において勉強に励む少女,手を繋いで雑貨を眺める老夫婦,大きなヒマワリの花束を抱えてバーで水を飲む男性,ひとりひとりが奇跡や運命,私をわくわくさせるような,恋愛を抱えている.一見普通で,どうしようもなくチープなものでも,それは角度と思考を突くとあっという間に奇跡に色づくのだ.
 私はそうして愛と恋を集めて,恋愛小説を書いていた.




 「どうして,真剣になれないの?」
 注文したコーヒーに,手をつけられる空気ではなかった.周辺の客に注目されない程度に,声を荒げて彼女はそう言った.目の前で私に詰め寄る彼女の瞳には,もう涙はなく,ただ泣いた後だとわかる程度に赤くなっていた. そんな目にしたのは私だ.私は,いま,ひとりの女性を泣かせているのだ,と頭ではしっかりと理解していた.そして同時に,困惑していた.こんな時に,気の利いた言葉をどのような文字を選択し,放てばいいのかまったくわからなかった.
「すまない」 
 だから,どうしようもなく,私は言葉少なくそう言うしかなかった.泣かせてしまってすまない,真剣に考えを返せなくてすまない,気を遣わせてしまってすまない,こんな私ですまない.
 そして,こんな私に好きという感情を抱いてくれて,すまない.
「すまない,って,なんなのよ」
 彼女の言葉には,明らかに諦めが混じっていた.これだけ言っても,これだけ機会を与えても,真剣に向き合おうとしない私へのあきらめ.
 付き合いだして,もう半年を過ぎようとしているのにもかかわらず,私と彼女との関係は,友達以上にもカテゴライズされない程度の,薄いものだった.お互いの譲歩で,やっと名字ではなく,名前で呼び合う程度の距離感. そんな関係に疑問を抱くのは当たり前で,きちんと向き合いたくなるのは当たり前の展開であった.
 だから「きちんと付き合っていくのかどうか考えましょう」という連絡が入るのも,痛いくらいに分かった.そして同意も出来た.だけども,そこで私の感情は終わりだ.真剣に考えて,彼女との燃え上がりもしない,冷めきりもしないぬるいスープをゆっくりと啜っているだけのような関係を改めようとも,そして断ち切ろうとも考えることが出来なかった.
「何か言って」
 数回瞬きをして,私の目を見る.彼女は小さくため息をついてそうこぼした.最後の,きちんとした最後の言葉は私に言わせる.それが彼女なりのけじめで,諦めるための準備に必要なものなのかもしれない.
「……もし,もし,ここで私と君の関係を継続したとしても」
 だから私は,駄目な男なりに,彼女が「真剣に話したい」と言ってから二週間近く連絡を先送りにしていたせめてもの償いに,自分の言葉を選ぶ.
「私には今までの関係を改善する,ことは出来ないと思う」
 すまない.こんな風に,この程度でしか君の事を考えることが出来ないのに,交際を申し込むことになってしまってすまない.私は心の中でさらに97回のすまない,と3回のありがとうを言って,その場を後にする.私が目の前にいては,彼女は涙を流さないし,嫌な顔もしないだろう,そういう人間であることくらいは理解していた.
「そう,なら,わかったわ」
「じゃあ,元気で」
 伝票をとり,彼女と私の分のコーヒー代を支払って店を後にする.
 この喫茶店は,待ち合わせをしていた男女の内,男性だけが先に帰り,小さく肩を落とす女性を無碍に扱うような店ではないはずだ.彼女の帰りはもう,店に任せよう.結局,手をつけることのなかったコーヒーはもう,すっかり湯気を失っていた.
 女性と交際し,真剣さに欠けるという不満から,別れるのはこれでもう4回目になった.

 店を後にして,私は携帯電話を取り出す.そして,友人へのメールを簡潔に打って送信した.
『すまない,駄目だった』
 4回目にもなるとさすがに友人にも,頭が上がらない.どんな言い訳も通じないだろう.私はホモセクシャルではないし,女性への恋愛感情も,下心も人並に持ち合わせている.でも,どうしても女性との交際が進行したことは,なかった.
 タクシーに乗って帰る気分にはなれず,私は駅を目指して歩く.
 彼女との出会いは,友人が私のために準備した食事会だった.友人の恋人の,友人,それが彼女だった.2対2で食事の席を設け,そこで紹介という形で友人関係から私たちはスタートした.
 友人に背中をけるように押されて私は食事に誘い,連絡を交わした.容姿は端麗であったし,傘を差す姿がよく似合う彼女は時折子供みたいに水たまりの上ではねて,それを見て可愛いと感じることもできた.
 だから,紹介してもらった友人の顔を立てるわけではなく,個人的な感情で私は彼女に交際を申し込んだのだ.
 そして,私と彼女の交際は幕を開け,そして同時にそこで進行を停止した.
 原因は,誰でもない私だ.

「何が不満なの?」
 夜の公園,手を繋ぐことなく,2人で歩いている時に一度,彼女にそう尋ねられたことがあった.
 湿り気と言うよりも,生ぬるさを孕んだ空気.花のつぼみが開き始めたことにより,香りが混在した甘い空気だったことを覚えている.あれは付き合い始めて数カ月経った春の夜の事だった.
「安心して,私は――さんが思っている以上には,――さんのこと好きだから」
 もっと別の答えが欲しいことは私にはわかっていた.ましてや恋愛小説を書いている身だ.このパターンの質問にはこんな答えがベターだと言う予測はついた.でも,そんな言葉を返すことが出来なかった.返したくなかった.
 私は,これ以上に彼女との距離を縮めたくなかったのだ.これ以上に好きになりたくなかったし,好きになっても欲しくなかった.
 しっかりと向き合って,思考して付き合っていくには,彼女との出会いは陳腐過ぎた.
 友人からの紹介で,必要十分に可愛く,必要十分に気があったから付き合い始めた.そんな2人にはその距離まで歩み寄ることしかできないと私は考えるのだ.
 今までの女性だって同じだった,同じ理由でフェードアウトしてきた.
 
 以前に交際していた女性も,決まった女性を作らない私を見かねた友人が紹介してくれた方だった.それじゃ,駄目なのだ.そうだ,駄目なんだ.
 世界には奇跡や,偶然,そして運命が其処此処に散り散りに存在しているわけで.私は,それを人よりも多く目にし,そして構成してきている.
 図書館で同じ本を取ろうとして手が触れ合う男女.
 記憶の彼方で忘却していた結婚の約束を交わした幼馴染.
 同じ名字で夫婦,とからかわれる同級生.
 いつも同じ車両に乗っていて,気になる彼女.
 タイムカプセルに入れていた結婚届けでの告白.
 復讐の相手の娘.
 落とした財布を拾ってくれた相手.
 一見チープでも,多くの偶然が重なって,奇跡と姿を変えるいくつもの出会い.
 気がつくと,駅の近くまで来ていたようで,2人で同じような顔をして笑いあうカップルがいくつか見えた.君たちはどんな風に出会い,どんな偶然から奇跡を見出して,そんな風に笑いあっているんだ.知りたい.そして,描きたい.読むと誰かに会いたくなる物語,好きな人と分かち合いたくなる奇跡を.

 そして,私はそれらの奇跡に負けたくなかった.
 私は欲する.
 誰よりも劇的で,奇跡に充ちた出会いを.
 運命的で,残りの人生をともに分かち合えるほどの相手を.
 たとえ彼女が数年の命であろうとも,数パーセントの確率にすべてをかけることが出来るような情熱的な恋を.
 普通じゃない,奇跡を.もっと.出会いを.
 ああ,そうか.だからだ.
 人の流れに混ざって,駅の改札に吸い込まれていきながら私は理解した.少し,すっきりした.電車に揺られて家に帰ろう.そして,新しい物語を考えよう.今日ならいいものが書けそうな気がした.

 ああ,そうだ.恋愛小説家には,恋愛は出来ない.



【2012/06/10 02:19】 | 短編小説「わらえる.」 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
わらえる.
 嫌気がする.
 今なら私のため息ひとつで,無邪気な子供を10人くらい泣かせることが出来る気がする.それくらいに暗く,重いため息を私は漏らしていた.何にこんなにも嫌気がさすのか,と問われれば「この馬鹿らしさによ」と私は答えて,その問い人を一発殴ってやるだろう.
 雪がちらつき,吐く息は白く染まる.かじかむ手を暖め合う相手を失った私は,ただ背中を小さく丸めて自分の家へと向かう道を一人歩いていた.早く自分の部屋に戻り,温かい布団にくるまって世間から隔離されたかった.きっとまばらに点る部屋の明かりの下では,カップルがお互いぴたりとくっつき,皆同様に同じ顔をして笑い合っているのだろう.そんな姿を想像するたびに私はまた重いため息をこぼす.早く,何もかも忘れて,寝てしまいたかった.
 どうして,こんな日に私は一人なのだろう.そのことを考えると,心底情けない気持ちになってくる.世間の女子はバレンタインデーという,何もめでたくない所詮お菓子屋さんの計らいでしかない,その日にあやかって,想いを寄せる彼に甘い甘いチョコを渡すのだ.そして,その彼からお返しに,甘過ぎて倒れてしまうような,口づけなんかを貰ってるのだろう.
 嫌気がする.
 もう深夜の零時を回っているから昨日にあたるそのバレンタインデーのことを思い返すと,その一言に尽きた.
 私にも,最低限の女子なりに想いを寄せる彼がいたし,その彼との比較的良好な関係に満足をして日々を暮らしていた.少なくとも私はそう思って,彼と接していた.だから,バレンタインデーには彼が好きなブランドの手袋なんかをサプライズプレゼントで買って用意していたし,あまり甘いものが好きじゃない彼の事を考えて,甘すぎないビターなチョコレートなんかを手作りしたり,用意していたのだ.今思うと,心底滑稽で,可愛そうな女子だ.本当に,可愛そうなくらいに頭の中が乙女で埋まっている.彼の行動から,少しくらいその兆候を読み取るくらい出来たはずだろう.今思うと,生活の節々にその気配があったことがわかる.買ってあげた覚えのない腕時計,趣味が変化したピアス. どうしようもないくらいに,それは彼の想いの変化のしるしで,私への警告だったのだ.
「バイト先の後輩,なんだ」
 私はバイト上がりの彼を,浮足立った想いを抑えて待っていた.そのバイト先から腕を組んで出てきた二人組の片方が彼だということに気がついた時の衝撃は,私のキャパシティを超えてしまい,私はただ茫然とするしかなかった.浮足立っていた私の足は一瞬で地につき,そしてそのまま底まで落ちて行った.
少しして,いつもの待ちあわせの席に私がいることに気がついた彼が気まずそうに近づいてきて,そう言ったのだ.
「ごめん,いつか言わなきゃいけないって思ってて」
 そこでそんな風に謝罪の言葉をこぼす彼に,私は一瞬にして冷めてしまった.激昂するわけでもなく,泣きわめくわけでもなく,ただただ,冷静にその目の前で謝る男の姿がひどく矮小に思えたのだ.私の想い人は所詮,この程度の人間だったのだ.バイト先の後輩なんて,ありがちで笑えるくらいに安っぽい設定の女子にうつつを抜かすような,その程度の.
「へー,可愛らしいじゃん.ふーん,で?」
 私の最後の一言も,彼の事を馬鹿に出来ないくらいに安っぽく,くだらないものだった.そう思うと,私たちはお似合いだったのかもしれない.
「あ,いや,だから,もう俺達は」
「私たち,付き合ってたんですっけ?」
 そう言い残して,私はその場を後にした.彼の少し後ろで小さくなっていたあたらしい彼女ちゃんは私と違って,背が低く,わかりやすく女子の姿をしていた.

 あの男の前を後にしてから,私はぎりぎり間に合った終電に乗り,最寄り駅まで帰ってきた.遠くで犬の鳴き声がする.深夜になってから降り出した雪が辺りに積り始め,私はその真っ白な道に足跡を残しながら,帰路を辿っていた.もし,彼と一緒にこの夜を過ごしていたならばつけることが出来なかった私の足跡だ,そう考えると少し愉快な気分になった.
 サムは良い奴だ.少なくとも向かいの犬に毎朝餌をやる,サムは良い奴だ,私の冷えた左手をあたためるのが上手.
 私は最近お気に入りのくだらない唄を口ずさむ.思うと,この洋楽のバンドを進めてくれたのはあの男だった気がする.
「おおっ」
 少し,虚ろな気分が顔を見せた,そんな瞬間,私は雪に滑ってこけた.一人,変な歌を口ずさむ女が一人,雪の上に尻もちをついた.その衝撃で,ハンドバッグからあの男に渡すつもりだったチョコレートとプレゼントがこぼれる.
「なによ」
 私は自分で施した包装を乱暴に破いて,チョコをとりだす.可愛らしい一口サイズのチョコが5つ.そのうち一つを手掴んで口に放り込む.甘すぎず,くどくない,出来のいい味が口に広がった.
「なによなによなによ!」
 もう,一度漏れだすと,止まらなかった.どうして,こんな私がこけなくちゃいけないの? せっかく雪に少し慰められた気分だったのに,台無しだ.今から,ここを通る適当な男に迫って,どうにでもされていい気分だ.
 しばらく,地べたにすわってそのまま居たけど,ひとなんて通る気配がなく,ただ,私のお気に入りのスカートを湿らせただけだった.ふと,視線の先に踏み切りが見える.
 そうだ,死のう.
 嫌気がさす,嫌気しかない,この気分を晴らそう.この誰の足跡もない白い雪を赤くしてやろう.そうだ.あの男も,きっと私の事を忘れない.
 そう考えると,私は居てもたってもいられなくなった.立ち上がり,ハンドバックからミラーをとりだすと,自分の顔を確認する.どうせ死ぬなら綺麗な顔がいい.
 鏡に映った顔は,新しいルージュ、睫毛もばっちり、アイラインも自分にとって納得のいくもので、アイシャドウもチークも、全てが完璧な自分だった.耳には新しいイヤリングがついている.それはそうだ.彼に会いに行く日なのだからそこまできめてきたのだ.そのすべては無意味になったのだけど.それでも,もう構わなかった.これなら,納得いく自分のまま終われる.
 私は踏切から線路内に入って,線路の上に横になった.雪が冷たい.新鮮な気分だ.あと少しの命なのだ,何を考えよう.
 雪たちは何も知らずに,横たわった私の身体の上に積って行く.肌の上に落ちた雪は私の体温で溶けて消える.なんて儚い.
 そう言えば,今年はうるう年だった.四年ぶりの29日を迎えることが出来ないのは少しさみしい.実家の猫が死んでからもう4年になるのか.向こうで会えるかもしれない.その時は思いっきり抱きついて,冷えた私の身体を暖めてもらおう.
 雪が降り注ぐ空には星はなく,月も望めない.携帯電話にあの男からの着信はない.意外と涙も零れない.かじかむ両手をポケットに入れても,温かくなる気配はない.
 私は寒くて,ひとつくしゃみをした.
 私のくしゃみは静かな深夜の空気に溶けて,積った雪に音が吸収されて,あまり響くことなく消えてく.
「ふふ」
 私はそのことがおもしろくて,「あああ」なんて一人で叫んでみる.その声も雪に吸収されて,静かさを際立たせる.
「ふふふ」
 そうだ.
「あはははは」
 そうだ,今日はもうバレンタインじゃない.夜は更けて,辺りは静か.こんな時間に寝そべるのは私一人.死ぬのはもうやめよう.終電をとうに過ぎた踏切に電車は通らない.早く家に帰ろう.冷えた手はあの手袋をして暖めよう.自販機で缶コーヒーを買って,一緒にチョコを食べよう.きっとビターな風味と合うはずだ.雪を掃って,私は立ち上がる.
 
 午前二時の,踏み切りじゃ死ねない.
【2012/02/12 06:44】 | 短編小説「わらえる.」 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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