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わらえる.
 嫌気がする.
 今なら私のため息ひとつで,無邪気な子供を10人くらい泣かせることが出来る気がする.それくらいに暗く,重いため息を私は漏らしていた.何にこんなにも嫌気がさすのか,と問われれば「この馬鹿らしさによ」と私は答えて,その問い人を一発殴ってやるだろう.
 雪がちらつき,吐く息は白く染まる.かじかむ手を暖め合う相手を失った私は,ただ背中を小さく丸めて自分の家へと向かう道を一人歩いていた.早く自分の部屋に戻り,温かい布団にくるまって世間から隔離されたかった.きっとまばらに点る部屋の明かりの下では,カップルがお互いぴたりとくっつき,皆同様に同じ顔をして笑い合っているのだろう.そんな姿を想像するたびに私はまた重いため息をこぼす.早く,何もかも忘れて,寝てしまいたかった.
 どうして,こんな日に私は一人なのだろう.そのことを考えると,心底情けない気持ちになってくる.世間の女子はバレンタインデーという,何もめでたくない所詮お菓子屋さんの計らいでしかない,その日にあやかって,想いを寄せる彼に甘い甘いチョコを渡すのだ.そして,その彼からお返しに,甘過ぎて倒れてしまうような,口づけなんかを貰ってるのだろう.
 嫌気がする.
 もう深夜の零時を回っているから昨日にあたるそのバレンタインデーのことを思い返すと,その一言に尽きた.
 私にも,最低限の女子なりに想いを寄せる彼がいたし,その彼との比較的良好な関係に満足をして日々を暮らしていた.少なくとも私はそう思って,彼と接していた.だから,バレンタインデーには彼が好きなブランドの手袋なんかをサプライズプレゼントで買って用意していたし,あまり甘いものが好きじゃない彼の事を考えて,甘すぎないビターなチョコレートなんかを手作りしたり,用意していたのだ.今思うと,心底滑稽で,可愛そうな女子だ.本当に,可愛そうなくらいに頭の中が乙女で埋まっている.彼の行動から,少しくらいその兆候を読み取るくらい出来たはずだろう.今思うと,生活の節々にその気配があったことがわかる.買ってあげた覚えのない腕時計,趣味が変化したピアス. どうしようもないくらいに,それは彼の想いの変化のしるしで,私への警告だったのだ.
「バイト先の後輩,なんだ」
 私はバイト上がりの彼を,浮足立った想いを抑えて待っていた.そのバイト先から腕を組んで出てきた二人組の片方が彼だということに気がついた時の衝撃は,私のキャパシティを超えてしまい,私はただ茫然とするしかなかった.浮足立っていた私の足は一瞬で地につき,そしてそのまま底まで落ちて行った.
少しして,いつもの待ちあわせの席に私がいることに気がついた彼が気まずそうに近づいてきて,そう言ったのだ.
「ごめん,いつか言わなきゃいけないって思ってて」
 そこでそんな風に謝罪の言葉をこぼす彼に,私は一瞬にして冷めてしまった.激昂するわけでもなく,泣きわめくわけでもなく,ただただ,冷静にその目の前で謝る男の姿がひどく矮小に思えたのだ.私の想い人は所詮,この程度の人間だったのだ.バイト先の後輩なんて,ありがちで笑えるくらいに安っぽい設定の女子にうつつを抜かすような,その程度の.
「へー,可愛らしいじゃん.ふーん,で?」
 私の最後の一言も,彼の事を馬鹿に出来ないくらいに安っぽく,くだらないものだった.そう思うと,私たちはお似合いだったのかもしれない.
「あ,いや,だから,もう俺達は」
「私たち,付き合ってたんですっけ?」
 そう言い残して,私はその場を後にした.彼の少し後ろで小さくなっていたあたらしい彼女ちゃんは私と違って,背が低く,わかりやすく女子の姿をしていた.

 あの男の前を後にしてから,私はぎりぎり間に合った終電に乗り,最寄り駅まで帰ってきた.遠くで犬の鳴き声がする.深夜になってから降り出した雪が辺りに積り始め,私はその真っ白な道に足跡を残しながら,帰路を辿っていた.もし,彼と一緒にこの夜を過ごしていたならばつけることが出来なかった私の足跡だ,そう考えると少し愉快な気分になった.
 サムは良い奴だ.少なくとも向かいの犬に毎朝餌をやる,サムは良い奴だ,私の冷えた左手をあたためるのが上手.
 私は最近お気に入りのくだらない唄を口ずさむ.思うと,この洋楽のバンドを進めてくれたのはあの男だった気がする.
「おおっ」
 少し,虚ろな気分が顔を見せた,そんな瞬間,私は雪に滑ってこけた.一人,変な歌を口ずさむ女が一人,雪の上に尻もちをついた.その衝撃で,ハンドバッグからあの男に渡すつもりだったチョコレートとプレゼントがこぼれる.
「なによ」
 私は自分で施した包装を乱暴に破いて,チョコをとりだす.可愛らしい一口サイズのチョコが5つ.そのうち一つを手掴んで口に放り込む.甘すぎず,くどくない,出来のいい味が口に広がった.
「なによなによなによ!」
 もう,一度漏れだすと,止まらなかった.どうして,こんな私がこけなくちゃいけないの? せっかく雪に少し慰められた気分だったのに,台無しだ.今から,ここを通る適当な男に迫って,どうにでもされていい気分だ.
 しばらく,地べたにすわってそのまま居たけど,ひとなんて通る気配がなく,ただ,私のお気に入りのスカートを湿らせただけだった.ふと,視線の先に踏み切りが見える.
 そうだ,死のう.
 嫌気がさす,嫌気しかない,この気分を晴らそう.この誰の足跡もない白い雪を赤くしてやろう.そうだ.あの男も,きっと私の事を忘れない.
 そう考えると,私は居てもたってもいられなくなった.立ち上がり,ハンドバックからミラーをとりだすと,自分の顔を確認する.どうせ死ぬなら綺麗な顔がいい.
 鏡に映った顔は,新しいルージュ、睫毛もばっちり、アイラインも自分にとって納得のいくもので、アイシャドウもチークも、全てが完璧な自分だった.耳には新しいイヤリングがついている.それはそうだ.彼に会いに行く日なのだからそこまできめてきたのだ.そのすべては無意味になったのだけど.それでも,もう構わなかった.これなら,納得いく自分のまま終われる.
 私は踏切から線路内に入って,線路の上に横になった.雪が冷たい.新鮮な気分だ.あと少しの命なのだ,何を考えよう.
 雪たちは何も知らずに,横たわった私の身体の上に積って行く.肌の上に落ちた雪は私の体温で溶けて消える.なんて儚い.
 そう言えば,今年はうるう年だった.四年ぶりの29日を迎えることが出来ないのは少しさみしい.実家の猫が死んでからもう4年になるのか.向こうで会えるかもしれない.その時は思いっきり抱きついて,冷えた私の身体を暖めてもらおう.
 雪が降り注ぐ空には星はなく,月も望めない.携帯電話にあの男からの着信はない.意外と涙も零れない.かじかむ両手をポケットに入れても,温かくなる気配はない.
 私は寒くて,ひとつくしゃみをした.
 私のくしゃみは静かな深夜の空気に溶けて,積った雪に音が吸収されて,あまり響くことなく消えてく.
「ふふ」
 私はそのことがおもしろくて,「あああ」なんて一人で叫んでみる.その声も雪に吸収されて,静かさを際立たせる.
「ふふふ」
 そうだ.
「あはははは」
 そうだ,今日はもうバレンタインじゃない.夜は更けて,辺りは静か.こんな時間に寝そべるのは私一人.死ぬのはもうやめよう.終電をとうに過ぎた踏切に電車は通らない.早く家に帰ろう.冷えた手はあの手袋をして暖めよう.自販機で缶コーヒーを買って,一緒にチョコを食べよう.きっとビターな風味と合うはずだ.雪を掃って,私は立ち上がる.
 
 午前二時の,踏み切りじゃ死ねない.
【2012/02/12 06:44】 | 短編小説「わらえる.」 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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