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わらえる.4
 思い出.大切な思い出.僕の生きがい.
 それらはすべてが過去で,今のすべてでもあった.

 思い出,と言えば聞こえがいい.大切なもの,一生の宝もの.僕と,彼と,君たちとの,たくさんの思い出.誰のものでもない,君たちとしか共有することが出来ない,特別な時間.
 でも,それらは,もう手にすることが出来ないあの日々の記憶だ.今となっては,失ったものの残滓だ.
 どれだけ,愛でようと,大切にしようと,再び手にすることはできない.それらは確実に,日々追うごとに輪郭を失っていく.どんどんとあの頃の自分との距離が開いていく.それは当たり前だ.僕はもう,学生じゃない,髪は黒く,短く切りそろえてある.「ドコニデモイルアリキタリ」な社会人の顔をしている.
 写真に写る皆の姿は,若い.髪は明るく,肩は軽い.両手を挙げ,屈託のない笑顔をふりまく.
 社会人と,学生.
 いったい何が変わるのか,よく考える.社会人になり,春が終わり,現実を垣間見て,夏が過ぎ,夜の長い季節へと移り変わろうとしている今.その肌寒い夜は,僕の思考を加速させる.
社会人としての責任,立場,プライド,生きがい.
 ロックンローラーになるわけでも,旅人になるわけでもない.ただのサラリーマンだ.普通の分かりやすいレールの上に立っている僕にはその答えなんて思いつくわけもなく.ただただ,平凡な逃避への憧れと,一歩を踏み出せない机上の爆発を繰り返し,翌朝には聴き飽きた目覚ましの音で目を覚ます.
 
 僕の特技は,過去に縋ること.
 
 仕事場で名字に「さん」付けで呼ばれるたびに,僕はひとつずつ失っていく.日々を摩耗していく.なにかを,諦めていく.
 いつかの日々を想う.
 全員が,浮足立ってて,完璧ではないくせに,大きな声で笑うだけの日々.くだらなく,馬鹿みたいに,お互いを馬鹿にしあいながら,酒を酌み交わす.
漫画のような日常.青春の最高潮.

 僕の特技は,過去に縋ること.
 僕の生きる糧は,過去に縋ること.
 
 目覚ましで目を覚まし,ひとりで誰もいない空間におはようを落として,重い肩を動かして,着替えて会社へ向かう.
 名字にさん付けで呼ばれて,必要最低限の会話と当たり障りのない話題を交わす.
 日々,声は小さくなっていく.今日も僕は,過去に縋る.思い出し笑いで,心を保つ.
 日々,心は摩耗していく.その摩耗してすり減った隙間を埋めるのは,思い出補正によって肥大した,腐りかけの思い出.
 なんのために,働いているのだろうか. 
 仕事から帰り,誰もいない部屋で一人,考えることがある.
あの頃の自分は,自分の欲しいもの,やりたいことへの資金のためにアルバイトに勤しんでいた.強制されるわけではなく,自分から進んで働いていた.間違いなく.
 いまはどうだろうか.
 確実に,あの頃と比較して,賃金は多く,自由な金は増えた.何が違うのか.
 今までで一番目先の見えない日々,ほんとうに,わらえる.
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【2012/10/14 02:11】 | 短編小説「わらえる.」 | トラックバック(1) | コメント(2) | page top↑
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