FC2ブログ
ほうそく! そつろん番外編1
 この世の中には二種類の人間がいる.
 私は最近までそれを「男か女か」程度にしか考えたことはなかった.もしくは人を使う人間か、人に使われる人間かなんていうのも私らしいと思う.でも,今は違う.はっきりとその問いかけに対する答えを持っている.
「理解できる人間か,理解できない人間か」だ.
 この研究室に入るまで私はなんとなくいろんな人間の考えることをわかったつもりでいた.それは,本当に浅はかで,まったく恥ずかしいくらいに“つもり”だったのだと,今では思う.
 裸であることを注意されてから,女子高生の制服を着ようとしている香川先輩を見ながら私はため息を漏らす.私にこの人間のことは理解できる日は来るのだろうか.



 それはみずこう!での日常に慣れ始めた五月の半ばのことだった.私は4年生になって一月が経ち,なんとなく研究室というものをわかり始めた,まだ卒論に追われてあくせくする前の話.
 まだ卒論を始めるにあたって,何をするべきなのかまったく分からなかった私は,ただ先輩の実験の手伝いのために研究室に来ていた.
 香川先輩は私たち4年女子の間でも一度は名前を聞いたことのあるくらいに有名だった.ややロングの髪型に似合った銀縁のメガネ,皆が羨む容姿と時折見え隠れする子供っぽい表情.様々なサークルに通い,遊びにも長けている性格とは裏腹にその成績は優秀.みずこうに私が分属すると聞いた友人たちは羨ましいと,黄色い言葉を漏らしていた.
 わけがわかんない.
 先輩とのファーストコンタクトはその一言に尽きた.私の先輩に対するすべての前評判はみずこうに通うようになって一日目であっさりと崩れ去った.みずこうが研究用に所有している特大の水槽.その中で河童の恰好をして泳いでいたのを見たときはこの研究室を選んだことを後悔した.もう遅かったのだけれども.

「求心力と、遠心力って知ってる?」
 同級生のウサギの野郎はバイトで帰ってしまい,私は先輩と二人きりで実験の片付けを手伝っていた.化学薬品を扱う研究室の人間なら分かってくれると思う.薬品を使った後の瓶やバイアルの洗い物の面倒この上ないことを.
 先輩が洗い,私がそれを水で流していく.JIS規格にのっとったという面倒な手順を踏んで,一つ一つ丁寧に数十回と繰り返して洗い流す.実験室には先輩セレクションのオールドのUKロックがBGMに流れている,ゴールデンウィークが明けたての浮足立った空気と,夏を感じさせる空気が混じった5月の風が開けた窓から時折吹き込んできて,私の頬を撫でる.

 5回目だった。

 最近ダンディ路線でいこうと思うんだ,とあごひげを伸ばし始めた香川先輩が「原ちゃん! 好きだ」と言いよってきたのは.そしてそのたびに「嫌です,と言うか死んでください」と私が数発のキックを返事に添えて返したのも.
 私たちは手を休めることなく,洗い物を続ける.先輩のこの手の発言に信ぴょう性はまったくない.二秒後には別の人間に同じことを言うだろう.ほんとうに理解できない.
「だからぁ、求心力と遠心力だよ?」
 先ほどの問い掛けに何も反応をしていなかった私に、香川先輩は同じ言葉を繰り返す。いきなり、この人は何を言い出すんだ。そんなもの学校の授業でとっくに習っている。私はこれでも大学4年生だというのに.
「何が言いたいのですか?」
 先輩と2人きり、という部分だけ切り取って考えるとロマンチックな状況なのかな,と考えてみた。でも洗い物をしていることと,相手が香川先輩であることを思い直してありえないな,と小さく息を吐いた.
「冷たいよねー、その性格……そこが良いんだけど」
 香川先輩は映画のワンシーンならヒロインが赤面してきゃー,とかなってしまうようなセリフをさらりと言ってのけると、洗い物の手を止めて私に背を向けた。香川先輩の視線の先にはいつか,先輩が泳いでいた巨大な水槽がある.今はそこには先輩が釣ってきた巨大なアリゲーターガーという外来魚が泳いでいる.
「……きゃー,先輩ったら」
 アリゲーターガーは大きい.本来熱帯魚屋で売っており,その見た目と飼い易さから人気の観賞魚だ,しかし大きくなりすぎることを知らない人が飼ってしまい,法を無視して自然河川に放流していることが近年問題視されている.
「と言えばいいんですか?」
 私は洗い物の手を止めることなく淡々と返す.こんな先輩の戯言に付き合っていたら,私は何度先輩の甘い言葉にノックアウトされないといけないことか.
「さすが原ちゃん,俺の見込んだ女だけあるね.おーい,アリゲーターガーばっかり見てないで,たまには俺も見てくれるともっと嬉しいぞー」
 こんな風に2人きりでいることを誰もが羨ましがる容姿をしているのに,もったいない話だ.先輩がもう少しまともな人間で,理解できるような思考をしていたなら話は変わっていたのだろうか.
「でね、原ちゃん,遠心力と求心力はさ、原ちゃんと俺なんだよ」
 香川先輩は、私とアリゲーターガーの間に割り込んでくると,突然語りを始めた。
「遠心力は、大きくなればなるほど、その中心に向かう求心力は、大きくなる。わかる?」
 それくらいわかっている,と言い返そうと思ったが,そういうやり取りを交わすのも面倒な気がして私は黙って先輩の言葉に頷く.
「原ちゃんがどれだけ俺に対して俺を遠ざけるための遠心力をかけたとしても、俺はその分だけ強い求心力をもつ」
 遠心力と求心力,ね.なるほど.
 先輩が何を言いたいのか少しわかってきた私は洗い物の手を止めて,仕方なく香川先輩の顔を見る.私と目があったことに気がつくと,先輩は屈託のない笑顔を作った.その笑顔は私たちが初めてみずこうにきた私たちの目の前で,巨大水槽から河童の姿で這い出てきた時に見せたものだ.嬉しくて仕方がない,小学4年生の子供顔負けの笑顔.
「原ちゃんが、俺のことを何度も拒んだとしても、その分だけ俺は原ちゃんに近づきたくなる.そう,好きになっていく」
 先輩は見て見て! と言わんばかりに楽しそうに巨大水槽によじ登るそして,角に立つと天を指して決めポーズをとった,のだと思う.
「そしていつか! 遠心力を超える求心力で、原ちゃんにくっついてみせるってわけよ」
 その笑顔に誘われて、私も笑う。呆れた.
子どもの全力疾走にはいつだって大人が負ける.私は先輩に勝てるわけがない.もっと子供にならないと.そして,いつか理解してみたいと思った.
「その時は、全部の法則がめちゃくちゃになって、世界が終わる日です」
「世界が終わって、俺と原ちゃんの世界が始まるわけだ」
 遠心力と、求心力か。いいね、私の遠心力と香川先輩の求心力、どっちが強いか、勝負してやる。
 私の笑顔を見た先輩は満足したのか,そのまま力を抜いて倒れていった.水槽の中へと.
 巨大なアリゲーターガーが先輩に近寄り,そして先輩は近寄ってきたアリゲーターガーの口を押さえつける.私はもう堪えられなくて大声で笑う.子供みたいに.
 
 それから半年,私は先輩のことを理解できない.まったくわけがわからないのは,同じ.世界の法則はまだ遠心力が求心力を上回ることなく,正常に機能している.
 朝早くに学校に来てわざわざ先輩が作ったというスタイリッシュなパソコンはウサギの机の上に置かれていた.
 今日も先輩の無茶苦茶に振り回されて,みずこうは回転している.私はその回転にのって回る.どんな遠心力と,求心力がこの回転にはかかっているのだろうか.
「いいえ,わたしの方がスタイリッシュよ」
 私は誰もが認めるくらいにスタイリッシュな動作を踏んで,スタイリッシュな効果音とともに立ち上がる.

 たまにはこんな感じで,せーの「そつろん!」
 
スポンサーサイト



【2012/01/19 16:02】 | そつろん! | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
<<げんじつ.. | ホーム | ひるどき! ※そつろん4>>
コメント
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
→http://kimihazakiko.blog.fc2.com/tb.php/11-8bdff53b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |